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自己実現という幻想 [散読記]

むずかしいところはすっ飛ばしつつ愛読している(なんだそれ)思想家・内田樹さんのブログ、「内田樹の研究室」の中に、こんな文章がありました。


(「なぜ若者たちは働く意欲がなくなったのか」という日経新聞からの電話取材に対して)

学生たちは就職活動に全力を注ぐ。
いかに自分の能力や適性を採用者に効果的にショウオフするかに懸命になる。
そこには「自分のため」という動機しかない。
だから、就活が終わり、四月に職場に立ったとき、自分には「労働するモチベーション」がないということに気づいて若者たちは愕然とするのである。
「求職するモチベーション」と「労働するモチベーション」は別のものである。
(中略)
最初の数年は「あの人よりは自分の方が高給だ」とか「自分の方がプレスティージの高い仕事をしている」という比較意識がモチベーションを維持するかもしれないが、そのようなものはいずれどこかで消えてしまう。
そのあとの長い時間は自分自身で自分の労働に意味を与えなければならない。
けれども、「自分のために働く」人間にはそれができない。
私たちの労働の意味は「私たちの労働成果を享受している他者が存在する」という事実からしか引き出すことができないからである。(「l'un pour l'autre」より)


えーと、自分が何のために働くかといえば、何よりも「生活のため」です。身もふたもない言い方ですけど、これはどうしても外すわけにはいきません。

でも当然、それだけではないはずです。たとえば、働くことを通して何かを達成したいとか。
ただ、仕事はそれひとつで独立した“作品”ではなく、必ずクライアントやお客さんあってのものである以上、自分が価値のある仕事ができたかどうかは、相手の評価を通してしか知ることができません。

内田さんは、別の日の記事(「『若者はなぜ3年で辞めるのか?』を読む」)の中で、人間の労働パフォーマンスが上がるのは、「フェアネス」(公平性)を実現するため、または「信頼」に応えるために働くときだけだと言っています。

例として挙げているのが、阪神の金本選手の話。


阪神の金本選手は契約更改のときに、「自分の俸給を削っても、スタッフの給与を増額して欲しい」と述べた。
これを「持てるものの余裕」と解釈した人もいるだろう。
けれども、私は違うと思う。
金本選手という人はどういう条件であれば自分のモチベーションが維持できるかを経験的に熟知している。
彼の活躍を「わがこと」のように喜んでくれる人間の数を一人でも増やすことが自身のモチベーションの維持に死活的に重要であることを知っているからこそ、彼は「フェアネス」を優先的に配慮したのである。


一気にスケールのちっちゃい話になって恐縮ですが、わたしの場合もやっぱりきちんと評価して信頼してくれるクライアントが相手だと、多少ギャラが安くても(涙)、鬼のようにスケジュールが厳しくても(号泣)、なんとかがんばって仕上げようと思い、少しはパフォーマンスも上がります(たぶん)。

一方、「若者の働く意欲」については、うちの身内にも春から新社会人になる甥がいるので、内田さんの話にはなるほどと思うところがあります。
彼らが「自分を生かせる仕事がしたい」「仕事を通して自己実現したい」と言うとき、えてしてその評価基準は自分をとり巻く同年齢集団の中にしかない。閉じた円の中で自分探しをしたところで、それが働く意欲に結びつくのは容易なことではないと思うんです。
「自分らしさ」「自己実現」というキャッチフレーズは魅力的なだけに、なかなかの曲者であります。


内田樹さんのコラムはブログで読めてしまうので、本はあまり持っていないのですが(すんません)、文庫で読みやすかったのはこれ。

子どもは判ってくれない

子どもは判ってくれない

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: 文庫

ホームページやブログに書いた文章に加筆したもので、教育問題や民族問題など、むずかしいテーマをやさしい言葉で語っていて、読みやすいです。


++++++++


[春のきざし?]

 

近所の枝垂桜が、ほんの少ーーーーし色づきはじめました。


タグ:内田樹 働く
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少年と父親とスタジアム [散読記]

ぼくのプレミア・ライフ』という本が好きで、本棚から時折とりだしては、ぱらぱらとページをめくる。

作者のニック・ホーンビィはイギリス生まれでロンドン在住。ほかに『ハイ・フィデリティ』(1995)や『アバウト・ア・ボーイ』(1998)などを書いているが、1992年に出版されたこの本がデビュー作だ。

彼はれっきとした小説家なんだけれど、この本はきわめて私的なフットボール・エッセイの形をとっている。タイトルの「プレミア」は、イングランドの「プレミア・リーグ」からとったものだ。(とはいえ、この本が書かれたころはまだプレミア・リーグという名称はなく、単に「一部リーグ」だったらしい。)

ここに描かれているのは、Fever Pitch という原題のとおり、熱病(fever)にとりつかれたようにスタジアム(pitch)へ通いつづける一人の男の、20年以上にもおよぶ日記のようなもの。
11歳の時、父親に連れられて初めて試合を観戦した日、彼は「フットボールと恋に落ち」てしまうのだ。
よりによってその相手は、当時「宇宙開闢以来最も退屈なチーム」と言われ、「超特大級のスランプ」にあったアーセナルである。

フットボール(イギリス人はサッカーをこう呼ぶ)なんて興味がないから、パス。
そう思った方、ちょっと待ってください。
私だって、この本に出てくるおびただしい数の選手名もチーム名もゲームの内容も、まったくもってちんぷんかんぷんである。
それなのにこうも魅力的なのは、きわめて個人的な体験を綴った文章の中に、確かな普遍性が感じられるからだ。
好きなチームが散々な負け方をしたり、お気に入りの選手をクビにしたり、優勝するかと期待させておいて転落したり。どうしてこんなチームを応援してしまうのかと我が身を呪いつつ、また次のシーズンにはいそいそとスタジアムに出かけていく。そんな複雑かつ単純なファン心理は、何かのスポーツに夢中になったことのある人なら、誰でも経験があるんじゃないだろうか。いや、スポーツはあまり観ないという人でも、熱病にとりつかれたように何かを好きになったことがある人なら。

もうひとつ、この作品がいいなぁと思うのは、少年が大人になっていく過程を物語として読めるところ。とくに父親とのエピソードは、懐かしくて切ない。
「ぼく」が初めて父親とゲームを観に行ったその年に、両親は別居していた。週に1度会いに来る父親と過ごす、スタジアムの午後。少年時代の「ぼく」にとって、フットボールは父親と自分をつなぐ唯一の心の接点でもあったのだ。

 

****

 

9月のいつごろだったか、帰りの電車で座席にすわっていた私の足元に、1個の野球ボールがころころと転がってきた。
隣の男性が拾い上げて、向かい側の少年に手渡す。

小学校低学年ぐらいだろうか。その少年は、オレンジ色のメガホンを首から2本ぶら下げて、読売ジャイアンツの野球帽をかぶっていた。
ニコニコとお礼を言った少年の隣には、父親らしき背広のサラリーマン。会社帰りに息子と野球観戦を楽しんできたようだ。(その日、巨人はめずらしく(!)快勝していた。)

見ていて微笑ましくなるほど、少年の顔はうれしさではちきれそうだった。
頬を赤く上気させながら、父親との野球談義に夢中である。
この少年も、野球と恋に落ちてしまったのだろうか?
よりによってその相手は・・・(むにゃむにゃ)

 

ぼくのプレミア・ライフ

ぼくのプレミア・ライフ

  • 作者: ニック ホーンビィ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/02
  • メディア: 文庫


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三谷幸喜「有頂天時代」 [散読記]

たまりにたまっていた仕事を、脳みそヨレヨレになりつつも今日やっと納品した。ばんざい!
これで晴れて読書が楽しめるというもの。
せっかく先週土曜日にセブンイレブンで受けとってきたのに「お預け」状態だった、三谷幸喜さんのエッセイ本だ。

三谷幸喜のありふれた生活〈5〉有頂天時代

三谷幸喜のありふれた生活〈5〉有頂天時代

  • 作者: 三谷 幸喜
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/09
  • メディア: 単行本

さっそく行きの電車の中で読みはじめ、帰りの電車の中でその続きを読み、バスの発車までの待ち時間も読んでいたら、あっけなく読み終わってしまった(通勤時間が長いってことですけど)。
いかん。もっとゆっくり読めばよかった・・・(>_<)


朝日新聞の水曜夕刊に連載中のエッセイ、「三谷幸喜のありふれた生活」をまとめたこの本。すでにシリーズ5巻目になる。
今回収録されているのは2005年4月6日~2006年4月5日の掲載分。
うちは朝日新聞を購読しているので、掲載時に読んだものも多い。
それでもつい単行本を買ってしまう。まとめて読むと、楽しみだったあのドラマとか、大興奮だったあの舞台とか、1年間のあれやこれやを思い出して懐かしいから。
お仕事とは関係ない、犬の「とび」や猫の「ホイ」のエピソードも楽しみのひとつ。
ご主人様が忙しすぎるせいか、昔にくらべるとずいぶん出番が減ってしまったけど、わたしはお茶目なとびくんの大ファンだ。

ちなみに、この1年間に三谷さんが手がけた作品は以下のとおり。
 (公式サイトが別ウィンドウで開きます。)

三谷さーん、ちょっと仕事しすぎじゃありませんか。ファンとしてはすごくうれしいけど、どれも面白かったけど、お楽しみはもうちょっと小出しにしてほしい気もする。

巻末の「ボーナストラック」は、知り合いの役者さんたちが出演する公演のパンフレットに、三谷さんが寄せた文章を集めたもの。
おなじみの佐藤B作さんと松本幸四郎一家のほか、「新選組!」「組!!」メンバーでは山本耕史さん、小橋賢児さん、谷原章介さん、小日向文世さん、甲本雅裕さん。ほかにも益岡徹さんや宮本信子さん等々へのコメントが収録されている。

意外な印象だったのが、「決闘!高田馬場」に出演していた市川亀治郎さん。相当の潔癖症&奇人(?)らしいのだが、劇中の「釘踏み」(大工の又八がばら撒いた釘を踏んで「痛っ!」の名リアクション)や「バカ殿」(情けない敵ボス役)のシーンは、彼のアイディアと豊かな表現力の賜物なのだという。
おかげで、「決闘!」は最初の台本より何倍も面白くなっていた。
それにしても、亀治郎さんが「世界の滅亡を予言する男」(by 三谷幸喜)だとは知らなかった。やっぱり変人だ(いい意味でね)。


THE 有頂天ホテル スペシャル・エディション

THE 有頂天ホテル スペシャル・エディション

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2006/08/11
  • メディア: DVD

新選組!! 土方歳三最期の一日

新選組!! 土方歳三最期の一日

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2006/04/21
  • メディア: DVD

古畑任三郎FINAL DVD-BOX

古畑任三郎FINAL DVD-BOX

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2006/05/17
  • メディア: DVD

12人の優しい日本人 [DVD]と、
パルコ歌舞伎 決闘!高田馬場 テーマ・ミュージック[CD]は、
こちら。↓

PARCO劇場オンラインショップ
 http://www.parco-play.com/web/page/shop/

 


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本が崩れる [散読記]

ドドッと、本の崩れる音がする。首をすくめると、またドドッと崩れる音。一ヶ所が崩れると、あちこち連鎖反応してぶつかり合い、積んである本が四散する。と、またドドッ。耳を塞ぎたくなる。あいつら、俺をあざ笑っているな、と思う。(『随筆 本が崩れる』12ページ)

随筆 本が崩れる

随筆 本が崩れる

  • 作者: 草森 紳一
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/10/20
  • メディア: 新書

風呂に入ろうとして、浴室のドア前の本の山にうっかり体をぶつけてしまったことから、とんでもない悲劇が著者を襲う。
高く積みあげた本の山が、次々と崖崩れを起こしてドアをふさぎ、著者は風呂場に監禁されてしまうのだ。

このアクシデントの一部始終だけで充分おもしろいんだけれど、著者の語り口に独特の味わいがあり、とんだ醜態をどこか楽しんでいるような様子も伝わってくる。
大ピンチの中で悠々と風呂に浸かりつつ、次々と浮かんでくる追想や妄想。ときに漢詩や日本史の豊かな教養が見え隠れしながら、飄々としていて嫌味がない。話題が過去と現在を行き来する、その浮遊感も心地いい。

本がすべてに優先するという著者の日常は、単なる本好きとはケタが違う。
部屋には冷蔵庫もテレビもなく、本たちを優遇するために机と椅子まで捨ててしまった。コタツを兼ねた麻雀卓が机代わり。
本棚の前に床積みにされた本の山々は、たがいを横からささえ合いながら、著者の身長174センチの高さ(!)まで見事に積みあがっている。

 

 

うーん、圧巻であります。これでも本人的にはちゃんと分類されているらしい。
とめどなく増殖する本に、部屋も人生も占拠されているかのようだ。

***

草森紳一氏は、ファッション誌の編集者を経て作家・評論家(「物書き」を自称)となり、美術、デザインから文学、伝記、マンガまで、あらゆるジャンルの本を執筆する「雑文の大家」。
といっても、この『本が崩れる』を人に勧められて読むまでは、食わず嫌いというのか、一冊も読んだことがなかった。
今回の本が予想以上におもしろかったので、ほかの本も物色していたら、こんなのを発見。

歳三の写真

歳三の写真

  • 作者: 草森 紳一
  • 出版社/メーカー: 新人物往来社
  • 発売日: 2004/02
  • メディア: 単行本


函館を舞台に、土方歳三とその写真を撮った写真家との交流を描いた小説の復刊本らしい。
(ほかに新選組についての史論・随筆も収録。)
ネットを検索してみると、「熊に追いかけられる土方さんが好き!」との読者コメントがあちこちに。
クマ~?? がぜん欲しくなってしまった(笑)。
なかなか評判よさそうなんだけれど、約3,000円というのがちょっと痛い。
どこかで文庫化してくれないかなあ。


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東のカタチ、西のイロ:田中一光のデザイン [散読記]

関東の桜がちょうど見ごろを迎えた先週末。急な仕事が入って家から一歩も出ることができず、せめて気分だけでもと、あちこちのサイトやブログにアップされた満開の桜を、指をくわえて見ておりました。

それにしても桜の色はさまざまです。
わたしが慣れ親しんでいるのは、ほんのり淡い薄桃色のソメイヨシノですが、京都の桜などを見ると、同じ花とは思えないほど艶やかなピンク色をしているのですね。それがまた神社仏閣の朱塗りの柱などにとてもよく似合っている。いつか桜の時季に訪れてみたいものです。

京都の色彩というと思い出すのが、2002年に亡くなったグラフィックデザイナー、田中一光さんのこと。
奈良に生まれ、京都の美術学校に学んだ一光さんは、まさに「雅」という言葉がぴったりの、上品で美しい色遣いを得意としていました。

デザインという仕事とは縁もゆかりもないわたしですが、たまたま見にいった企画展で一光さんの作品を見てから、すっかりファンになってしまいました。
一光さんがアートディレクションした企業カレンダーを偶然入手したら、これがまたいいんです。
たしか「海を渡った日本の至宝」みたいなテーマで(うろ覚え)、形式としてはよくあるタイプのアートカレンダーなんですが、たとえば屏風絵の場合は大胆に一部分を拡大した構図が見事だし、カレンダーの数字の書体、配置、大きさ、色にいたるまで、もう完璧なバランス。
これを手元に残しておかなかったこと、そして2003年に開かれた回顧展に行きそびれたことが、わが一生の不覚であります・・・。

独特の持ち味は、やはり京都という土壌で磨かれたもののようです。

京都には、染織や漆陶から住まい、料理に至るまで、公家の手から受け継がれた雅やかな意匠と町方の創意が、質の高い技術と合理性に支えられて混じり合い、市民の生活の中に伝承されている。(『田中一光自伝 われらデザインの時代』35ページ)

 

  
サンケイ観世能のポスター

 
写楽二百年祭(左)と、サルヴァトーレ・フェラガモ展のポスター

 

渋谷にオープンした西武劇場(現PARCO劇場)のグラフィックデザイン全般を担当したのをきっかけに、1970年代からセゾングループ全体のデザインワークを取り仕切るクリエイティブディレクターとなった一光さんは、それまで二流デパートのイメージが強かった西武百貨店を、洗練された都会型百貨店に一変させました。
また西友の一業態として企画した「無印良品」は、いまでは一大ブランドとして定着しています。

 

一光さんは自伝の中で、

「日本のデザインは、東のカタチと西のイロに二分される」

と書いています。
これは、東のデザイナーは造形に優れ、西のデザイナーは色彩感覚に優れているということ。
トリックアートで有名な東のデザイナー・福田繁雄さんを思い浮かべると、妙に納得してしまう言葉です(おっと、福田さんに色彩感覚がないと言っているわけではありませんよ)。

福田繁雄のトリックアート・トリップ

福田繁雄のトリックアート・トリップ

  • 作者: 福田 繁雄
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

企業広告やロゴマークや店舗デザインを数えきれないほど手がけてきた一光さんですが、強烈な個性を前面に押し出して、何でも自分の土俵に引っぱりこんでしまうような人ではありませんでした。
あくまでテーマを優先し、自分の造形には固執しない。最善の作品をつくるためには、「自分以外の才能を進んで起用する」。いつでも裏方に徹しながら、しかし出来上がった作品には、まぎれもない「田中一光の色」が際立っているのでした。

 私のデザインの基本的な考え方は、企業とデザイナー、社会とデザイナーという双方向のチャンネルを常に確保しておくという点である。クライアントとの関係だけでデザインするだけでなく、消費者や観客の立場でデザインする。常にその三角形を意識しながらそれぞれを頻繁に往復することで、デザイン本来の姿に戻れると思っている。
 ……デザインの総合性という観点から、時にコピーやイラストレーションなどを他人に依頼するほうが、美しい三角形となることが多い。つまりキャスティングによってアートディレクションの半分は完成するわけで、それは演劇を上演する作業ととても似ているのである。(『われらデザインの時代』211ページ)


この一光さんの自伝。松竹少女歌劇のレビューに夢中だった少年期に始まる個人の歴史にからめながら、日本のデザイン界の発展と成熟、戦中戦後の世相なども生き生きと語られていて、とてもおもしろいです。

  • 作者: 田中 一光
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2004/04
  • メディア: 単行本

 


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鈴木博之「東京の[地霊]」 [散読記]

去年、中沢新一氏の『アースダイバー』を夢中になって読んでいたときに、
「だったらこれもおもしろいよ」と人から勧められたのが、
鈴木博之氏の『東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」』。
単行本として出版されたのが1990年5月だから、もう15年以上前の本だ。
文庫版を貸してくれるというので待っていたら、半年経ってしまった。
こんなことなら自分で買うべきだったかも……。

東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」

東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」

  • 作者: 鈴木 博之
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1998/03
  • メディア: 文庫

 
『アースダイバー』は現代の東京に縄文時代の地図を重ね合わせ、
都市の成り立ちに人間の無意識を読みとろうとする刺激的な本だった。
鈴木氏の本は、中沢氏が書く文章のような華やかさはないものの、
やはり人の無意識に働きかける「地霊」という概念をとっかかりに、
東京という都市の歴史をていねいに読み解いていく。

書名にもなっている「ゲニウス・ロキ」とは、まえがきによると、

「ある土地から引き出される霊感とか、土地に結びついた連想性、あるいは土地がもつ可能性」

を意味するラテン語だそうだ。これの訳語が「地霊」である。

天海僧正が江戸城の鬼門に、「京都の写し絵」としてつくり上げた上野の森。
造園家・福羽逸人の壮大な夢の跡、新宿御苑。
都内最強の土地をめぐる三井財閥vs久能木商店の攻防の舞台となった日本橋室町。
ここに出てくる都内13か所の土地には、人びとの夢や野望、挫折の物語が刻まれている。

たとえば、六本木一丁目の国有地には江戸時代、南部藩の屋敷があった。
それが明治維新で主人を変え、宮家の邸地となる。
ここに移り住んだのが、皇女和宮。
政略結婚によって徳川家に降嫁し、幕末の動乱期に波瀾の人生を送った女性だ。
その後、邸地は東九邇宮家を経て、林野庁の所有地となるが、
日本の山林の衰退とともに、民活第1号として真っ先に森ビルに払い下げられてしまう。
そんな経緯を丹念にたどるなかで、著者はここを「薄幸」の土地と呼ぶ。


この本に興味を引かれるのには、ちょっとワケがある。
それは去年の夏、たまたま通りかかった小学校跡地で遺跡発掘現場を目にしたこと。
置いてあったパンフレットを読むと、そこにはかつて旗本屋敷があったらしく、
履き物や食器などの日用品、水道を引き込んだ跡も発見されているという。
大小さまざまな遺構の穴をフェンス越しに見ているうちに、そこに暮らした人びとの姿が
急に目の前に立ち現れたような、不思議な感覚にとらわれたのだった。

東京には、たぶんまだ江戸の地霊は生きている。
あとはそれを感じとり、生かし、受け継いでいく、こちら側の感受性の問題だ。

+++++

[関連記事]
・遺跡発掘現場の埋もれた谷 → http://blog.so-net.ne.jp/chiyorogi/2005-08-17
・アースダイバー式・街歩き → http://blog.so-net.ne.jp/chiyorogi/2005-09-24


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「冷や汗の向こう側」+「シアターガイド1月号」 [散読記]

楽しみにしていた三谷幸喜さんのエッセイ集。朝日新聞夕刊に連載中の「三谷幸喜のありふれた生活」第4弾だ。

三谷幸喜のありふれた生活 4 冷や汗の向こう側

三谷幸喜のありふれた生活 4 冷や汗の向こう側

  • 作者: 三谷 幸喜
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2005/12/06
  • メディア: 単行本

新聞掲載時に読んだものが多いけれど、こうしてまとめて読むと、やっぱり『新選組!』がらみの話には懐かしさがこみ上げてしまう。
たとえば、慣れないテレビドラマの現場で演技プランを練りすぎ、かえって泥沼にはまってしまう野田秀樹さんの話(「野田さん、ドラマで四苦八苦」)。
撮影終了翌日の打ち上げでいきなり号泣し、「い、息が出来ない」と叫びながら悶え苦しむ山本耕史副長と、それを優しくいたわる香取慎吾局長の話(「局長・副長、涙で撮影終える」)。
ほぼ連日泊まりこみで働いているという美術スタッフとの食事会のエピソード(「財布と若い胃袋、深夜の攻防」)なんかも、このドラマを支えてきた現場の職人さんたちの情熱やプライドが垣間見られて、いい話だ。

巻末には、装丁とイラストを担当する和田誠さんと、友人・清水ミチコさんの特別対談が収録されている。
「三谷さんって、こんなヒト」という話題が続いていくのだが、その中に映画『THE 有頂天ホテル』の話も出てくる。
超豪華なロビーのセットを見学した和田さんは、正面の立派な柱は世界一の左官屋さんがつくったという話を聞き込んできて、それをアップで撮影していなかった三谷さんを「なんで撮さないんだ」といじめるのだ。三谷さん、けっこう傷ついて落ち込んでいたらしい。和田さんも人が悪いな(笑)。


それともう1冊、本屋さんで見つけて衝動的に買ってしまったのが『シアターガイド 2006年1月号』。だってほら、和田誠さんのこーんな表紙なんだもの。

三谷さん関係の記事は全部で10ページ程度。本人のインタビューと、舞台『12人の優しい日本人』に出演する江口洋介さん、石田ゆり子さん、生瀬勝久さん、小日向文世さんによる座談会。『THE 有頂天ホテル』の紹介ページには、伊東四朗さんのコメントも出ていた。

座談会の記事によると、稽古初日に裁判ものの映画を途中まで観て、続きを模擬陪審するというテスト(?)があったようだ。生瀬さんはガンガン攻める手法で失敗したらしく、「もう二度とあんな攻め方はしない」と悔やんでいるのがおかしい。
この稽古シーン、すごく見てみたいけど、カメラは回していないんだろうか。DVDの特典映像についていたら買っちゃうんだけどなー。議論する時って、隠れた人間性が思わず出てしまいそうだから。

今回が初舞台という江口さんの話は初々しいし、ほかの3人(特に生瀬さん)はそんな彼を温かく包み込んでいるような感じがした。なんだかファンになってしまいそうだ。・・・生瀬さんの。


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「心地よく秘密めいたところ」ピーター・S・ビーグル [散読記]

わたしはカラスという鳥が意外と好きである。
あの、とても優美とはいえない飛び方と、人を小ばかにしたような鳴き声。そして、熟した甘柿を絶妙のタイミングでかすめとる要領のよさ。
以前、兄の子どもが子ガラスを拾ってきて面倒をみていたという特殊な事情も影響しているんだけれど、どうも他人とは思えないというか、親しみを感じてしまうんですよねー。

なので、meiteiさんの「カラス雑感」を読んで100%共感してしまった(記事はこちら)。

カラスというのは、よく見ていると、こいつらほんとは中に人が入ってるんじゃないか、という妄想を抱いてしまうほど、動き、しぐさが人間っぽいところがある。こちらが観察しているつもりでも、実はカラスの方がこっちを観察しているようで、全く油断がならない。
……一般的なイメージとしては、都会のカラスというのはほんと悪者扱いなのだが、僕はこのカラスが結構好きだ。ちゃんと自分たちの見識というものを持ち、現実世界に適応し、したたかに生きている。(「カラス雑感」より)

集積所の生ゴミを食い散らかすのはたしかに困りものだけど、うちの近所ではネットや金網で集積所を覆うようになってから、カラスや猫による被害はかなり減った。
むしろ、そのぶんハトが増えてしまって、今年の秋は隙あらばベランダに巣づくりを始めようとするハトたちとの格闘の日々がつづいた。まったくもう、自分の領分ってものがわかってないんだから。カラスとは大違いだ。


カラスが好きなのにはもうひとつ理由がある。ずいぶんむかし、兄に借りてこれを読んだせいだ。

心地よく秘密めいたところ

心地よく秘密めいたところ

  • 作者: 山崎 淳, ピーター・S・ビーグル
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1988/10
  • メディア: 文庫

この小説の舞台はニューヨークの共同墓地。主人公のジョナサン・レベックは、もう19年間もここで暮らし、さまよう死者たちの話し相手になっている。
そこに登場するのは、死者のマイケルとローラ。夫を亡くしたばかりのクラッパー夫人。墓地の管理人カンポス。
そして、墓地の外からレベック氏に食べ物を運んでくるカラスである。

レベック氏の話では、死者は毎日少しずついろんなことを忘れていく。どんな音楽が好きだったか、何を勉強していたか。かつて誰かを愛したり憎んだりしたことさえ忘れ、最後は人間の姿である必要もなくなって、どこかへ漂って行ってしまうという。

人生に執着する死者のマイケルは、できるだけ長い間人間らしく存在しつづけたいと願い、諸々のことを忘れないために涙ぐましいまでの努力をする。
一方、あとからやってきた死者のローラは、死ぬのを「待ちくたびれていた」と言い、何を忘れようが気にかけないように見える。
ところが、墓地の外のヨークチェスターの街が見渡せる塀の上に座ったとき、マイケルはローラに「どんな音が聞こえるの?」と訊く。

「ぼくらが聞く音は、すべてぼくらが覚えている音なんだ。人の話や、電車や、流れる水がどんな音か、ぼくらは知ってる。(……)でもぼくは、ヨークチェスターがまとめてどんな音だったかちょっと思いだせない。あんまり注意していなかったためだと思うな」(224ページ)

ローラには街のさまざまな音がはっきり聞こえてくる。

車の警笛、路上の罵声、暑熱の中の子供の泣き声、事務所が入っている建物の中の電灯のスイッチをつけたり消したりする音、(……)バスの料金箱の中で硬貨がぶつかる澄んだ音さえ聞こえた。(221ページ)

聖書や詩は暗誦できても、自分がどんな顔をしていたかさえ覚えていないマイケルと、街の雑踏や騒音のひとつひとつを生き生きと思いだせるローラ。人生との向き合い方を物語るこの違いは、2人が死んだいきさつとも深く関わり、このあと急展開するストーリーへの伏線にもなっている。

 
さて、カラスのほうは、レベック氏に食べ物や本を運んできたり、ゴミを片づけてやったり、いわば養い親みたいな存在だ。カラスはその理由をこう話す。

「鴉は、人間にいろんなものを運んでくる。おれたち鴉はそういう生まれつきなのよ。(……)鴉は、何か運んでやる相手をだれか持ってないと落ち着かないんだ。やっとそんな相手が見つかると、運んでやる馬鹿馬鹿しさに、たちまち、気がつくってわけよ」
「鴉って鳥は、かなり神経症なんだ。ほかのどんな鳥よりも、人間に近いんだぜ。そして、おれたち鴉は、一生、人間にしばられて暮らすけれど、だからといってよ、人間好きになる必要なんかないんだ」(14ページ)

重たいロースト・ビーフ・サンドイッチをくわえてヨタヨタと羽ばたき、無断でヒッチハイクしたトラックの荷台で車酔い。それでいたくプライド傷ついているカラスは、なんとも言えずほほえましい。

初めて読んだときから20年ぐらい経っていると思うけど、いまだにカラスを見るとこのキャラクターが思い浮かんでしまう。人生の深遠なる意味や目的など鼻で笑ってみせ、それでいて何気ない日常の愛おしさに気づかせてくれるような。忘れられない一冊だ。


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帰宅支援マップを買いました [散読記]

文房具屋さんに行ったら、レジ横でこれがやけに自己主張していたので、思わず買ってしまいました。

震災時帰宅支援マップ 首都圏版

震災時帰宅支援マップ 首都圏版

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 昭文社
  • 発売日: 2005/08/01
  • メディア: 単行本

今年7月に関東で大きめの地震があった時、実感としてはそれほど大きな被害はなかったのに、電車がストップしてしまい、復旧するのにすごく時間がかかりました。たしか土曜日だったので大きな混乱は起きなかったものの、たまたま出かけていたみなさんは大変でしたよね。

その直後に話題になったのがこの本。都内の幹線道路と、そこから隣接県に伸びる「帰宅支援ルート」が紹介されています。

なるべく安全なルートで帰宅することが大前提なので、収録されているのは幹線道路のみ。
普通の道路地図にある要素に加えて、広域避難場所と帰宅支援ステーション(主に学校)、コンビニ、トイレ、水場などの印があります。
一番の特徴は、危険箇所やベンチの場所などを示した「帰宅支援コメント」。「ガラス注意」「ブロック塀」「歩道狭い」「自販機迫る」「緩やかな登り」などなど、実際に歩いてみないとわからない情報がいろいろ書き込まれているのです。

この本を買ったその日の帰り、電車で隣の席に、かなりくたびれた感じの年輩のサラリーマン男性が座りました。
その方が熱心に読んでいたのが、なんと同じ本!

本書の心構えの項には、

どうしても単独で行動しなければならない場合は、できるだけ早く同じ目的地をめざす仲間を見つけ、行動を共にするようにするだけでも気持ち的には大いに救われます。(「3. 実際に被災してしまったら」)

わたしが被災したら、このおじさんと助け合って帰宅する可能性もあるわけで。
……がんばります。


『ブラウン神父物語』G・K・チェスタートン [散読記]

この小男の司祭はあのイングランド東部の間抜け者の典型のようであった。顔はノーフォーク名物のゆで団子のように丸くてずんぐりしているし、目は北海(ノース・シー)のように虚ろである。茶色の紙包みを五つ六つ持っているのだが、それをまとめておくことすらできない態(てい)たらくであった。(「青い十字架」)

背が低くずんぐりとした、いかにも風采の上がらない小男の司祭。これが主役の名探偵、ブラウン神父である。

ブラウン神父物語

ブラウン神父物語

  • 作者: G.K. チェスタートン
  • 出版社/メーカー: 嶋中書店
  • 発売日: 2004/12
  • メディア: 文庫

しばらく前にYuseumさんのブログで、「グレートミステリーズ」というシリーズが嶋中書店から刊行されているのを知り、すごく欲しくなってしまった。
なにしろ和田誠さんの装丁が素敵。
どの本も、作者の特徴をとらえた肖像画が真ん中に大きく描かれ、和田さんらしい渋めの色遣いの都会的な表紙に仕上がっている。
中身も大事だけど、本はまず表紙が魅力的でないと。

黄色い部屋の謎 

 

 

 

 ガストン・ルルー。

ビロードの爪 

 

 

 

 E・S・ガードナー。

三谷幸喜のありふれた生活3  大河な日日 

 

 

 
おっと違った、これはミステリーじゃありません。でも和田誠さんの装丁。


「グレートミステリーズ」は第1期が10巻、第2期が現在2巻まで刊行されている。この中から真っ先に選んだのが、昔から気になりつつ一度も読んだことがなかったブラウン神父の短編集だ。

変わった作風だな、というのが第一印象。
まず事件が起き、探偵が登場し、複雑なトリックを見抜いて鮮やかな謎解きをするというのがミステリーの王道だとすれば、この本ではそういう期待はたびたび肩透かしを食う。まさに事件が起きようとする一歩手前で解決してしまったり、みすみす犯人を逃してしまったり、いまさら解決しようもない歴史上の逸話の謎を追究してみたり。
しかしそんな奇抜さが逆にこの本のおもしろさ。読み進むにつれてじわじわと引き込まれてしまう。

たとえば「青い十字架」では、あたかもパリの名探偵ヴァランタンが主人公であるかのように物語が始まる。彼は、国際的犯罪者・フランボウを追いかけてロンドンへやってきたところ。
フランボウは殺人を犯さない窃盗犯であり、変装の名人であり、奇抜な手口でいつも新聞をにぎわせる人物。そんなフランボウを探して汽車に乗り込んだヴァランタンと偶然乗り合わせるのが、冒頭に引用した場面のブラウン神父なのだ。
その後、汽車を降りたヴァランタンが立ち寄る料理店、果物屋、菓子店などで次々に発見される奇妙なしるし。事件が起きているのかどうかさえわからないまま、ヴァランタンの追跡はついに二人連れの神父にたどり着く。

「奇妙な足音」では、脳溢血で倒れた給仕人の遺言を聞き取るために呼ばれたレストランで、ブラウン神父は小部屋にこもったまま、廊下の足音を聞いただけで犯罪を見抜くという離れ業をやってのける。

全体にプロットとしてはかなり時代がかっている印象があるにせよ、なかなかユニークで楽しめる。なぜ彼が数々のトリックを見破るかといえば、ローマカトリックの司祭として、さまざまな犯罪者の懺悔を長年聞きつづけているからだ。その手の知識にかけては怪盗フランボウも脱帽せざるをえない。神父の知性とユーモアと人柄に心酔した彼は、のちに私立探偵となって神父の知恵を借りるようになる。


本書のもうひとつの魅力は、ブラウン神父の宗教家としての描かれ方にある。
たとえば、「天は不滅なり」という言葉を「無限の宇宙には理性を超えた何かが存在する」と解釈するフランボウに、「(宇宙は)物理的に無限なだけです」と神父は反論する。

「真理の法則から免かれるという意味での無限なではない」(「青い十字架」)

「どんなに巧妙な犯罪でも、突きつめればみなごく単純なひとつの事実――それ自体は神秘的でも何でもないある事実――に根ざしているものです。神秘化する過程は、その事実を覆い、そこから人々の関心を追いのけようとするためにはいってくるのです」(「奇妙な足音」)

「サー・アーサー・シンクレアは、前にも言ったとおり、自分なりの聖書を読む人だった。この男の問題はそこにある。自己流の解釈に従って聖書を読むのなら、あわせて他のあらゆる人々の流儀にも従って聖書を読むのでないかぎり無益だということを、いつになったら人々は理解するのだろう」(「折れた剣)

ブラウン神父は理性を至高のものとして、カルト宗教や神秘主義がはらむ危険性をたびたび口にする。こうした警句がなにやら現代にも当てはまるような気がして、何度も読み返しては深読みしてしまうのだ。

わたし自身はクリスチャンではないし、チャペルのある学校に4年間通いながら、1度もその扉を開けることなく卒業してしまった不届き者だ。たしか「キリスト教倫理」なんて必修科目もあった。こうしてブラウン神父の叡智にふれてみると、もっと真面目に聞いておくべきだったかな、と少しだけ惜しい気がしている。


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