SSブログ

斎藤美奈子~ナンシー関を読む [散読記]

いま斎藤美奈子氏の『誤読日記』を読んでいるところだ。
「週刊朝日」と「アエラ」に連載された書評をまとめたもので、巷で話題の本をとりあげては揚げ足取り、じゃなくて鋭い突っ込みを入れていく文章は、いつもながら小気味よい。

同じ系統としては『趣味は読書。』があって、これも切れ味のいい文芸批評である。
「ベストセラーなのに周りに読んだ人がほとんどいないのはなぜか?」という問題提起もおもしろかった。だって、わたしもベストセラー本になかなか手を出せない人間だから。告白すると、セカチューもイマアイも、ハリー・ポッター・シリーズさえ読んでいないのだ。まあ、これらの本の評価は別として、世にあるベストセラー本特有の、あのうさんくさい感じは何なのか。そういう疑問に答えを出してくれて、胸がスカッとする本だった。

で、『誤読日記』に戻るが、この本の第1章はタレント本がテーマである。乙武洋匡『乙武レポート』に始まり、花田憲子『凛として…。』、二谷友里恵『楯』、木村拓哉『開放区』等々、出版時に話題を呼んだ記憶のある本が続く。
しかしどうも物足りない。というか、読んでいて(こっちの)調子が出ない。しばらくして気がついた。タレントがネタになっているもんだから、無意識に「ナンシー関」的テレビ時評を求めてしまっていたのだ。
「文芸界のナンシー関」と言われるだけあって、この人の文芸批評は言葉は過激ながらも、非常に知的で信頼できると以前から思ってはいた。が、勝手に読み違えるとは。それだけわたしがナンシー関に飢えているということだ。

そんなわけで、同時並行してナンシー関『何だかんだと』を読みはじめた。
亡くなって以後の追悼出版ラッシュが一段落して、しばらく読まない期間が続いていたが、ひさしぶりに読むナンシー関は単なる時評のレベルを超えている気がした。新刊で出た当時のテレビ番組やタレントそのものの生々しい印象が薄れたぶん、テレビを取り巻く不思議な/困った状況の分析が際立っている。
たとえば彼女の題材としておなじみのキムタクを扱った「『木村拓哉不人気ブーム』到来の可能性を見た」。当時(2000年)放送された『木村拓哉の同学年』という番組を「木村拓哉の鼻毛だ」と書く。

みんなが木村拓哉の鼻毛を見てしまったのである。……従来のアイドルは「鼻毛なんかありません」と鼻毛を隠すことで成立してきたが、木村拓哉は、「オレ、鼻毛あるよ。あったりめーじゃん。まじでぇ」と言いながら、あらかじめ見せる形に刈り込んだ鼻毛(どんな鼻毛か)をちらちら見せていた。その「見せ用の鼻毛」は、木村拓哉の人気を特別なものに押し上げるのに多大な効果をあげた。バレてまずいのは、鼻毛が生えていることではなく「見せ用の鼻毛」を準備していたことだ。(49-50ページ)

ナンシー関がテレビ時評を書く時、その番組やタレントの本質をひと目で見抜く直観力と、そういうものを成り立たせる社会全体を捉える広い視野があった。そしてその社会には自分自身もいて、どうでもいいようなことに何だかんだと異論を唱えているという冷静な自覚。だから高所から偉そうに批評するわけでもないし、大衆の代弁者ぶって感情的になることもない。視点にブレがないのだ。

わたしにとっては最も信頼する書き手の一人だったので、いまだに喪失感が尾を引いている。家族や友人の文章を載せた『ナンシー関大全』や『ナンシー関―トリビュート特集』は、泣いちゃいそうで読む気が起きないし。
それで、いまでも時々ホームページ『ボン研究所』を見て、開くたびに画像が入れ替わる消しゴム版画を楽しんだりしている。田中邦衛の顔をマウスで追いかけるスクリーンセーバー「逃げろ! 邦衛!!」もダウンロードしたいところだけど、「Windows 95対応」と古いので残念ながら試していない。
このホームページ、メールフォーム以外はちゃんとリンクが生きていて、「記憶スケッチアカデミー」や消しゴム版画ライブラリーが見られるようになっている。生前から更新が滞りがちだったから、まだいまも続いているような感覚だ。ずっと残しておいてほしいな。

NANCY SEKI'S FACTORY『ボン研究所』:http://www.bonken.co.jp/


nice!(2)  コメント(6)  トラックバック(2) 
共通テーマ:

nice! 2

コメント 6

降龍十八章

こんにちは。僕も読みましたぁー。
バカの壁なんて、買って読む必要なんてありませんよ。この本だけ読めばいいって感じです。
天下の斉藤先生(日本語であそぼの監修者)も、簡単に切られてしまいました。確かに、指摘はあたってるとおもいますね。
by 降龍十八章 (2005-08-28 23:03) 

チヨロギ

降龍さん、こんばんは。
わたしも『バカの壁』は、同僚が持っていたのをぱらぱら見ただけで済ませてしまいました(>_<)
斎藤美奈子さんは、評する相手に対する変な遠慮やヨイショがないところが好きです。評論家は度胸がないとね。
by チヨロギ (2005-08-29 23:58) 

柴犬陸

このころもチヨロギさんを知りませんでした。
私がブログを始めたのは、このあとでして。。

週刊朝日をウン十年も読み続けている読者として(今もです)、「ナンシー関」を忘れたことはありません。
ここ数年、彼女の不在をどれほど感じたことか。
私も涙なくしては読めませんでした。
by 柴犬陸 (2007-01-11 13:59) 

わ~い、「777」nice! をゲットしちゃいました~☆ (*^-^*)
この頃は、私はまだこちらのブログは始めてなくて、初読みです。
ぷっふ、木村拓也の鼻毛ですか? 「見せ用の鼻毛」を用意していたなんて、おかしい!(それで、チヨロギさんキムタクがイマイチになったとか(笑)。私は、『武士の一分』っていうやつで、非常に何と言いますか、これで映画に出るかね? とチト思ってしまいました。(ファンの方、すみません。(^^ゞ(誤るところが小心者でございます(爆)。
by (2007-01-11 20:59) 

チヨロギ

◇柴犬陸さん◇
こちらにもお越しいただき、ありがとうございます!
柴犬陸さんも同じ気持ちと知って、感激しています。
亡くなった時もショックでしたが(えのきどいちろうさんの日記を読んで泣けました)、しょうもないテレビ番組やタレントを見るたび、いまだに「ナンシーがいてくれたら・・・」と思ってしまいます。
稀有な才能の持ち主でしたね。彼女を超えるテレビ時評家に、まだ出会ったことがありません。
by チヨロギ (2007-01-12 02:21) 

チヨロギ

◇saraさん◇
こちらもお読みいただき、ありがとうございます(^.^)
そしてスリーセブンnice、おめでとうございます!
かんぱ~い( ^0^)/Y☆Y \(^ー^)
「見せ用の鼻毛」なんて、ナンシーさんの比喩は秀逸でしょ?
キムタクについては、私自身は『ロンバケ』ぐらいまでは評価していたんですけど、そのあと演技の幅がどんどん狭くなって、何を演じても「キムタク劇場」に見えてしまうんですよね。
『武士の一分』、やっぱりでしたか。目に浮かぶようです(笑)
by チヨロギ (2007-01-12 02:30) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。