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沖縄旅日記I: 平和の礎(いしじ) [そぞろ歩き]

全国でセンター入試が始まった1月19日の朝。
暖冬から一転して厳しい寒さとなった関東を離れ、南の沖縄へ。

早朝のお天気番組では「曇り」の予報だったものの、
那覇空港に着いてみたらこんなに青空が♪

気温、21℃。

予約していたレンタカー(運転手は姉)を借りてから近くの沖縄そば屋に入ると、
店内は冷房中なのだった。寒っ!
脱いでいた上着をあわてて着込み、そばをすする。
なんか違ってる気がするんですけど・・・? 


◆◆◆◆


この旅のいちばんの目的は、長いこと母の念願だった《平和の礎》に行くこと。
昭和一ケタ生まれの彼女が少女時代、とても可愛がってくれる従兄がいたそうだ。
その従兄は、結婚して子どもを授かったばかりで軍隊に召集され、沖縄で消息不明に。
骨は見つからなかったけれど、戦没者としてその名前が平和の礎に刻まれていることは、
先に訪れた親戚から聞いていた。

平和の礎がある摩文仁(まぶに)の丘までは、那覇空港から車で30分くらい。
1・2日目は北部寄りの中部に宿泊、3日目に那覇にもどってくるスケジュールだけど、
その3日目は雨という予報が出ている。
だったら晴れている今日のうちに摩文仁へ行こう! ということになった。

 

まずは、同じ沖縄戦跡国定公園内にある「ひめゆりの塔」へ。

思いのほか小さい塔(右手前)の後ろに、ガス弾攻撃で多くの犠牲が出たという
伊原第三外科壕(ガマ=洞窟)と慰霊碑がある。

急に黒い雲の出てきた空から、ポツリポツリと天気雨。
その雨に促されるように、慰霊碑の奥に立つ《ひめゆり平和祈念資料館》に入った。

 

1945年3月、女子師範学校と高等女学校の生徒で編成されたひめゆり学徒隊は、
看護要員として戦場の真っただなかへ。
同じころ東京で、同じように高等女学校から勤労動員された母は、
軍需工場で弾薬をつくっていた。
いまだったら中学・高校生の年頃に。
むごい話だ。


出口にある売店で、展示のすべてが収録されているというガイドブック1,000円を購入。

        

 

財布に千円札がなく、1万円を出したところ、どうもおつりが足りないような気がする。
よくよく見たら・・・。

おぉ、二千円札! 長らくご無沙汰しておりました。
沖縄県ではよく流通していると聞いていたが、旅の初日からお目にかかれるとは。
大事にしまっておこう♪


◆◆◆◆


平和祈念公園に向かうころ、空はすっかり晴れあがっていた。

公園内に入ると、花売りのおばさんたちが声をかけてくる。
2束600円の花束を買い、いよいよ平和の礎へ。


平和の広場に向かう道の左右に、花崗岩を張った屏風状の石碑が並ぶ。

 

「国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑」(沖縄県HPより)
という趣旨にしたがって、戦没者は県別・国別、五十音順に整然と刻銘されている。
出身地・静岡県の場所に、その名前はあっけないほど簡単に見つかった。
「H兄さん、どうしてこんなところに入っちゃったの」
母がぽろぽろと涙を落とす。

 


英語の墓碑銘のところにも、誰かが置いた花束が。


断崖絶壁から海岸線を見渡せる絶景ポイントに、平和の広場がある。
中心の小さな円錐が「平和の火」だ。



平和祈念資料館入り口。


おや・・・人面樹?

 

最大の目的をクリアして、気持ちも空も晴ればれとしたところで、休憩をとることに。
園内の売店で注文したのは、沖縄名物・ブルーシールアイスクリームのバニラ。
(写真は撮り忘れました ^^;)
そして姉が注文したのは、これ。↓

かき氷ですよ~、氷あずき氷ぜんざい!
この時期にあるということは、沖縄の人は一年中かき氷を食べているのか。
すごいなぁ、同じ日本なのに。

ドリンクも沖縄限定モノを買ってみた。

右が万座沖の海洋深層水配合の「海と大地の湧昇水」、
左が沖縄伝統茶「さんぴん花茶」(どちらも沖縄伊藤園)。
さんぴん花茶は、沖縄ふうジャスミン茶のこと。
ウーロン茶の苦手な私にも、ひじょーにおいしかったですv

 

平和の礎(いしじ)



タグ:沖縄 旅行
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