帰ってきました [身辺雑記]
先週土曜日から3日間、ちょっと旅に出てまいりました。
って言うほどには観光できなかったのですが・・・。
コメントやnice!をくださったみなさま、お返事が遅くなってすみませんでした。
で、どこに行ってきたかといいますと。
こんなところや、
こんなところです。
あ、こんなところも通りました。
写真には撮れませんでしたが、お相撲さんもたくさん見かけました。
旅のご報告は、いずれまた。
恐れを知らぬ川上音二郎一座@シアタークリエ(追記あり) [theatre]
11月7日に日比谷の芸術座跡にオープンした新劇場、《シアタークリエ》。
そのこけら落とし公演、「恐れを知らぬ川上音二郎一座」を観てきました。
[data]
作・演出:三谷幸喜
出演:ユースケ・サンタマリア、常盤貴子、戸田恵子、堺雅人、堺正章、
浅野和之、今井朋彦、堀内敬子、阿南健治、小林隆、瀬戸カトリーヌ、
新納慎也、小原雅人、ベーカー・ウィリアム・ヒュー
公演日程:2007年11月10日~12月30日 シアタークリエ
上演時間:一幕90分、休憩20分、二幕90分
公式サイトURL http://www.tohostage.com/theatre_crea/otojiro/
[story]
時は明治32年。
役者であり劇団主宰者でもある川上音二郎は、借金返済のために劇場を手放したあと、
起死回生をねらって妻の貞と劇団員を引き連れ、アメリカ巡業へ。
好評を博するも、マネージャーに公演資金を持ち逃げされて一文無しに。
やっとのことでボストンの劇場を押さえたものの、今度は劇団員たちが出演をボイコット。
しかし当地で公演中の、英国の名優H・アーヴィングによる「ヴェニスの商人」を観た音二郎は、
日本版「ヴェニスの商人」を上演しようと言い出す。
どうせ日本語は通じないからと、覚えられない台詞は「スチャラカポコポコ」でごまかす作戦。
役者・裏方・関係者を総動員し、たったひと晩の稽古で仕上げた舞台の行方ははたして――。
公演パンフレット
最初に堺正章が出てきて口上を述べるところから、もう笑いっぱなしです。
同じ三谷作品でもPARCO劇場モノとはちょっと違う、
もっと間口を広げた楽しさとわかりやすさが際立つ作品でした。
主人公の音二郎(ユースケ・サンタマリア)は、思いつきとハッタリで世を渡ってきたような人物。
逆境にめげず、次々と妙案をくり出す頭の回転の速さと“いい加減さ”は、
まさにユースケにぴったりw
その妻の貞(のちの女優・貞奴)を演じるのは常盤貴子。
以前、「タンゴ・冬の終わりに」を観たときよりずっとうまくなっていて、びっくりしました。
とても楽しそうに、全身でのびのびと演じているのがよかった^^
ほかの出演者もみーんな◎だったんですが、今回は今井朋彦さんに注目。
(急に「さん」づけ?^^;)
「新選組!」を観ていた方には、最後の将軍・徳川慶喜役でおなじみですよね。
以前観た舞台「国盗人」では理智門など、清廉な人物を好演していて印象に残りましたが、
「音二郎一座」では劇団の核になる俳優の役。
この方、ニコリともせずに笑わせるのがうまいんですよー♪
そういえば、エステーの「消臭プラグ」CMでもヘンな殿様を怪演してますもんねw
別の作品もぜひ観てみたいなと思いました。
*12/5追記:「新選組!!」サイトで、徳川慶喜様出演CMについて山本耕史副長がコメントしてます。
(「副長からコメントを貰った!!!」http://www.shinsengumi-exp.jp/2007/12/post_560b.html)
「何故上様が踊っておられるのですか!!」(副長)←はい、同じツッコミを私も(笑)
さて、音二郎一座が巡業でシェイクスピアを上演したというのは歴史上の事実。
帰国してからも「オセロ」や「ハムレット」を翻案して上演していたそうです。
ふつう、日本でのシェイクスピア上演というと、坪内逍遥が創った文芸協会が始まりといわれ、
川上音二郎の活動はイロモノ扱いというか、黙殺されている気がするんですけど、
シェイクスピア劇の本質は意外とこういうところにあるのかもしれません。
というのも、シェイクスピア劇が世界中で400年の時を超えて上演されてきたのは、
その時代、その民族に応じた自由な解釈を受け入れる器の大きさがあるから。
演劇というのはテキストに縛りつけられたものではなく、
演出家と生身の役者と、その時代の観客とが一体になって創りあげるものなんですよね。
今回の音二郎一座に観客として「参加」できたことは、ほんとうにわくわくする出来事でした。
劇場入り口に飾られたポスター
デパ地下のチュニジア人 [TV, event, etc.]
金曜日に池袋で、午後9時閉店3分前のデパ地下に飛び込みました。
すると目の前に、白地に赤線のジャージ姿のチュニジア人軍団が。
なんでチュニジア人だとわかったかというと、背中に大きく
TUNISIA TEAM
と書いてあったからですw
ちなみにチュニジアの国旗はこれ。→
いったい何のチームだろう? と帰宅してからネットで調べたら、
バレーボールのチュニジア代表らしきことが判明。
そういえば、いま日本でワールドカップ開催中なんですね。(いつも開催地は日本だけど)
チュニジアは18日(日)、つまり今日、《さいたまスーパーアリーナ》で日本と対戦する模様。
だから池袋なんだー。なんたってここは“東京の埼玉”ですからね♪( ̄ー ̄)v
バレーボールはあまり観ないんですけど、にわかにチュニジア代表への親近感がむくむく。
しかしデパ地下で彼らは何を買ったんでしょう? バレーよりそっちが気になる~^^;
◆
ためしにBuzzmapで「チュニジア」と入力してみました。
そこに出てきた衛星写真は。
なんと、サハラ砂漠でした。
サハラ砂漠って、チュニジアにあったんですね・・・ははは。^^;
いや、サハラ砂漠の中にチュニジアがあると言うべきか。
ちょっと重いですが、Googleマップの大きい画像へのリンクは 《こちら》。
地中海の向こう側はイタリアなんですね~。
◆
おっと、いかんいかん。忘れてました。
「FIVBワールドカップ2007」の公式ページは、↓こちらです。
ところが、紹介されているのは日本人選手ばかり。
ホスト国として、せめて各国の登録選手名ぐらいは載せてくれてもいーんでないの。
ぶつぶつ。
しかーし! 執念で見つけましたよー。フッフッフ。
- 国際バレーボール連盟(英語) http://www.fivb.org/EN/Volleyball/Competitions/WorldCup/2007/Men/Index.asp?sm=13
- チュニジア選手紹介 http://www.fivb.org/EN/volleyball/competitions/WorldCup/2007/Men/Teams/Team_Roster.asp?TRN=MWC2007&TEAM=TUN&sm=41
選手の集合写真 《こちら》 を見ると、かなりフレンドリーな感じ♪
1番のリベロの人がとっても気になります。(ルックス限定ですが)
ところでリベロって、なに?
散歩道 [そぞろ歩き]
朝、道を歩いていたら、ヘッドフォンから流れてきたジュディマリの「散歩道」。
そのポップな歌声が澄んだ青空とあまりに似合っていたものだから、
ちょっとだけ回り道したくなりました。
シアワセの形は変わってく 気付かずにのんびりと
あたしが思うよりもずっと あたしの空は広がってるんだわ
秋の散歩道には カサカサ落ち葉のメロディ
冬の散歩道には 氷の月が水に映るの
誰よりも大切な人 手をつなごう やわらかい風が吹く
前よりも優しくなって 見た事ない顔で笑う
……
何よりも大切なこと 手をつなごう やわらかい風が吹く
少しだけ優しくなって 夕暮れにも早く気付く (「散歩道」、詞:YUKI)
わたしが持ち歩いているのはiPod shuffleなので、
自分でもその日に何の曲が入っているかわからないのですが、
ときどきこんなふうに絶妙の選曲が出てくるのが楽しいところ。
ひさしぶりに聴いた「散歩道」は、秋の陽射しのようにあたたかでした。
*アルバムの試聴は、こちらのページから。↓
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/ES/JudyAndMary/
◆◆◆◆
そんなわけで、四ッ谷駅から片道5分の散歩道へ。
外堀通りの真ん中にある、三角州みたいな形の若葉東公園。
その向こうに迎賓館があります。
当の迎賓館は、いま改修工事の真っ最中。(平成20年3月まで)
若葉東公園の中は迎賓館に向かって左右対称になっていて、小さいけど噴水もあります。
ベンチではオジサンが爆睡中~(笑)
右手奥には学習院初等科。
公園を通り抜け、ふたたび四谷方面へ。
線路をはさんで向こう側には上智大学のキャンパスがあります。
・・・10分ほど遅刻しました
そこにないものの共有:「ALWAYS」の模造記憶 [cinema]
平日に半日ほど時間がとれたので、急きょ「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観に近くの映画館へ。
前作を観たときは、泣き腫らした目でうつむきながら映画館を出たんですよねー。
今回も、泣きのツボではしっかり泣いてしまったけど、笑っちゃうシーンはもっと多くて。
子どもたちや六子(堀北真希)の成長ぶりに目を細める、三丁目のおばちゃんになった気持ち。
メインとサブのお話もうまくからみ合って、2時間半があっという間でした。
日テレで大々的に宣伝しているし、観る方も多いと思うので、内容については簡単に。
舞台は前作から4か月後、昭和34年春以降の、東京・夕日町三丁目。
ここに住む人びとに起きた、不思議な出会いや心温まる出来事が描かれていきます。
鈴木オートも茶川商店も、もちろん健在。
詳しくは、公式サイトへどうぞ~!→ http://www.always3.jp/
◆◆◆◆
ところで。
いま内田樹の「村上春樹にご用心」を読んでいるんですけど、
この中の「太宰治と村上春樹」という章を読んでいたら、
「あっ! これって『ALWAYS』のことだ」
と思ってしまった部分が。
(ここから激しく脱線します。興味のない方はこの部分、読み飛ばしてくださいねw)
ウチダ先生は、村上春樹がなぜ世代と国境を超えて広く支持されているのかについて、
存在するものを共有できる人間の数には限界があるが、存在しないものを共有する人間の数に限界はないということを彼が知っていたからである。(『村上春樹にご用心』、P.90)
と書いています。その例として挙げているのが、
ドアーズ、ストーンズ、バーズ、ディープ・パープル、ムーディ・ブルーズ、そんな時代でもあった。空気はどことなくピリピリしていて、ちょっと力を入れて蹴とばしさえすれば大抵のものはあっけなく崩れ去りそうに思えた。……そしてあの不器用な一九六〇年代もかたかたという軋んだ音を立てながらまさに幕を閉じようとしていた。(村上春樹『羊をめぐる冒険』上、P.12)
という文章。
村上春樹は60年代のロックバンド名を列挙しているんですが、
ここでドアーズを真っ先に書いたところに彼の「職業的技巧」がある。
日本人がドアーズを聴きはじめるのは、ボーカルのジム・モリソンが死んで神話化され、
ロック史の「殿堂」入りをした70年代以後なんだそうです。
つまり60年代にこの音楽を聴いていたというのは、後づけの知識、つくられた記憶。
じゃあ「あのころ、ドアーズとか聴いてたよね」と同意を求められ、
「うんうん、そうだったよね」と読者がうなずいてしまうのはなぜか。
同じ音楽を聴いていたことに共感するのではない。「同じ音楽を聴いていた」という嘘を共有していることに共感するのだ。/私たちは「ほんとうの体験を共有している人間」より、「回顧的に構築された模造記憶を共有している人間」の方にずっと親近感を感じる。(『村上春樹にご用心』、PP.87-88)
映画「ALWAYS」が昭和34年当時の東京の風景を、
CGや小道具を駆使して過剰なまでに再現していることって、
この「バンド名列挙」に近い職業的技巧なんじゃないかと思うんです。
観客はたとえその当時を知らなくても、心の原風景として郷愁をおぼえる。
そのためには当時のリアルな風景ではなく、とても精巧につくられた「嘘」が必要。
この模造記憶を共有することで、映画はすべての世代をとり込むことに成功したんでしょう。
13歳の須賀健太くんですら、この情景を「懐かしい」と表現しているんですから(笑)
村上春樹が最初に挙げた「ドアーズ」みたいな感じで(違うか?)、
「ALWAYS」の山崎貴監督もちゃんと冒頭に仕掛けてます。
前作を観たとき(記事はこちら)は、ヤモリのシーンに「うまいなぁ」と感心したんですが、
今回はその比ではありません。こういうセンス、大好きですw
あっ、《そーすけさんのアドバイス》にしたがって、上映前にプログラムは見ませんでした。
おかげで大笑いしてきましたよー☆ そーすけさん、ありがとうございました!
映画のプログラム。
映画を観る前に開いてはいけません
◆◆◆◆
[今日のおやつ]
映画鑑賞の数日前に、セブンイレブンで思わず買ってしまった「ALWAYS」関連商品。
昭和38年発売復刻版の雪印アイススティックと、39年発売復刻版のカップアイスです。
とくにアイススティックのパッケージデザイン、すごく気に入ってしまいました。
でも昭和38年って・・・。映画の設定と全然関係ないのね(笑)
暖炉と煙突と屋根裏部屋 [そぞろ歩き]
子どものころに「好きな絵本は?」と訊かれたら、真っ先にあげるのはこれでした。
バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」です。
のどかな田舎の丘の上に建っている、丈夫できれいなちいさいおうち。
ところが周りに道路ができ、高層ビルが建ち、街が発達するにつれて、
ちいさいおうちは煤で汚れ、見捨てられていき――。
美しい絵もストーリーも忘れられない、いまでも大好きな作品です。
この絵本の影響も大きいと思うんですが、小さいころの憧れといえば、
暖炉と煙突と屋根裏部屋のある小さな家に住むことでした。
とくに屋根裏部屋なんて、語感にも字ヅラにもうっとり。漢字5文字だし!(謎
そんな私にぴったりの掘り出し物を見つけました。